公害問題、環境問題

●歴史的経緯の概略

・技術の進化、産業化の進展といった人による自然環境の破壊
・この環境破壊によって、却って人間の生活環境まで悪化してしまうものを、一般に公害と呼ぶ

・この定義で考えれば、公害というのは、その語ができるかなり前からあったものであろう
⇒それこそ、人口が増えてきて燃料として木を伐りまくった結果森が消滅した…というのは、洋の東西を問わず起こる。日本の場合、江戸時代にかなり人口が増えた訳だが、江戸時代末期には日本中、どこもかしこも禿山だらけであった。そして木のない山は、頻繁に土砂崩れを起こす。これも一種の公害と言えるだろう

・ただ、一般には、江戸時代以前の公害は公害とは呼ばない
・基本的には明治以降、日本が産業化し始めて以降のものを公害と呼ぶ
※まぁ、環境問題や公害問題に熱心な人は江戸時代以前の生活を理想とするし…

・その為、日本最初の公害は[足尾銅山鉱毒事件]であるとされる
⇒中学社会で誰もがやった、何なら小学校の社会でもやったアレ。明治時代、足尾地区にあった銅鉱山の採掘が環境破壊をもたらし、政治家の[田中正造]がその惨状を時の天皇に直訴しようとした…というアレである

・ただ、日本で公害が深刻化したのはやはり、[高度経済成長期]である
⇒詳しくは経済分野四章でやるが、1954年から1960年代末ぐらいまでをこう呼ぶ。非常に、極めて、ハチャメチャに日本が儲かった時代。日本の経済は急成長し、GNP世界二位になって米国を追い抜くのも確実視された時代である。この時期、日本の特に重化学工業は大発展し、工場から汚水や煤煙が垂れ流されて公害が社会問題となった

・そしてこの高度経済成長期に発生したのが、いわゆる【四大公害】である
1:三重県の【四日市喘息】
2:富山県の【イタイイタイ病】
3:熊本県の【水俣病】
4:新潟県の【新潟水俣病】

・ところで、公害には「典型的なもの」として典型七公害と呼ばれるものがある
⇒[大気]汚染、[水質]汚濁、土壌汚染、騒音、振動、地盤沈下、悪臭

・見ての通り、「公害」と言われてぱっと思い浮かぶような公害である
・逆に言えば、江戸時代の日本で起こっていたような、昔ながらの「公害」ではない
・高度経済成長期は、産業の発展によってこういう[都市・生活]型公害が増えたのである

・そして実は、先に挙げた四大公害は、この典型七公害の中でも特に大規模なものであった
・例えば四日市喘息は、大規模な大気汚染である
⇒石油関係の工場が煙突から、【亜硫酸ガス(硫黄酸化物、SOx)】を含んだ煤煙を垂れ流した結果、地域の住民の多くが喘息になった事件。女子中学生がこの喘息で死去するに及んで大規模な社会問題になった

・また、残りの三種は、大規模な水質汚濁である
⇒例えばイタイイタイ病は、工場が垂れ流す汚水に含まれていたカドミウムが原因である。上流で垂れ流されたカドミウムは下流の水田に流れ込み、そこでできた米を食べたりそこの地下水を飲んだりした住民がかかった。末期症状ともなると、咳をしたら骨折、医者が脈をとる為に腕を持ち上げたら骨折、という段階まで骨が弱体化する。水俣病も同様に、工場が垂れ流した有機水銀が回り回って人間の口に入ったのが原因で起こっていた

・このような環境汚染の進行と人間の住環境の破壊は、その対策を求める[住民運動]を活発化させた
・また、大規模な公害の頻発に国も動かざるを得ず、1967年には[公害対策基本法]が成立した
※尚、この法律、第一条で「国民の健康を保護するとともに、生活環境を保全する」って言ってる割に、直後の2項で「生活環境の保全については、経済の健全な発展との調和が図られるようにするものとする」としてあって、結局経済優先で環境は二の次かと批判を浴びた。その為1970年の国会でこの条項の削除が決まっており、この時の国会を[環境国会]などと呼ぶ

・そして、1971年には公害や環境保護を管轄する省庁として、【環境庁】が設立された
・また、1972年には【自然環境保全法】が成立
・ここでようやく、現代的な公害対策、環境問題対策の基本ができたと言える
※その後、1993年には自然環境保全法と公害対策基本法を統合する形で【環境基本法】が成立。また、2001年には環境庁が【環境省】へ格上げされる等、この手の問題への日本政府の意識は徐々に高まっていると言えよう。それがいいか悪いかは別として…

●具体的な公害対策、環境問題対策

○内部化

~既に大体やった事なので復習~
・市場経済が、市場には関係ないところに影響を及ぼしてしまう事を外部経済と言う
・外部経済にはいい影響と悪い影響があるが、市場の失敗で言う場合は大体悪い影響を指す
⇒特に悪い影響を及ぼす外部経済を指して、【外部不経済】とか【外部負経済】とか言う事もある
・悪い影響として代表的なのは[土壌汚染]を含む【公害】
⇒工場の傍を流れる川は、「商品を○○個作りました」「需要が多過ぎて、売り切れ続出」「商品をもっと増産するべく、工場の機械を追加で購入」みたいな市場経済には、全く関係ない。しかし、工場が汚水をその川に流してしまえば、公害が起きる。このように、市場に関係ない第三者に、しかし市場が原因で何らかの影響が起きる、というのが外部経済

・悪い外部経済の対処としては、公害対策の法律の制定が挙げられる
・この際、【外部不経済の内部化】と言われる事が原則となる
・何で企業が公害で周囲を汚染しまくっても気にしないかと言えば、関係ない(外部)からである
・身も蓋もなく言えば「周辺住人は嫌かもしれないけど、俺は嫌な思いしてないから」という事である
・そこで、「公害で汚染した奴は、その汚染に対処する費用を自分で負担しなさい」という法律を出す
・すると、企業にとっても公害は他人事ではなくなり、公害対策費用は商品製造費用の一種となる
・つまり、公害は市場経済の内部の話になる。だから内部化
~ここまで復習~

・要するに公害は、市場経済によって起こるのだが、市場を経由せずに害を起こす

・例えば、製造すると有害物質も一緒にできてしまう食品があるとする
・一緒にできた有害物質が、食品と一緒に市場で流通し、消費者が購入し、食べて中毒を起こした…
・これならば、「市場経済によって起こった公害が、市場を経由して害を起こした」と言える

・しかし、普通はそんな事にはならない
・美味しい食品だけが市場に流通し、消費者は美味しい食品だけを購入して食べる
・食品と一緒にできた有害物質は、工場から汚水として垂れ流すとか、そういう形になる
・すると、工場でできた食品を食べた訳でもない周辺住民が、害を蒙ってしまう

・このように、外部不経済の状態の公害は、適切な【資源配分】を妨げる
・有害な商品の関係者、つまりその製造者か消費者が、その害を蒙るというのであればまだいいのだ
・消費者の怒りに直面すれば、製造者は有害物質を浄化するよう努力するだろう
・しかし実際には、害を蒙るのは製造者に一銭も払わない周辺住民である
・本来なら、製造者は商品の増産だけでなく、公害対策にも資源を消費せねばならない
・しかし外部不経済の状態では、製造者は「カネにならないから」でやりたがらないのである

・故に、いわゆる【汚染者負担の原則(PPP)】によって、外部不経済を内部化する必要があるのである
⇒OECDで1972年に提唱された「汚染者支払の原則」を継承したもの。現代日本の公害対策の基本の一つとなっている

○無過失責任

・以前やった消費者問題でもでてきた単語だが…
・現代日本に於いて、企業は公害の発生を予防する義務を負っている
・そして万が一、公害が発生してしまった場合
・汚染者負担の原則に基づいて、企業は被害者に対し、損害賠償を行う義務を負う
⇒平たく言えば、民事裁判起こされたらまず勝てないし、被害者にカネを払う事になる

・ところで。一般的に、現代日本の損害賠償は過失責任主義である
・即ち、故意(わざと)か過失(何か手落ちがあった)でなければ、損害賠償の義務はないのだ
・しかし現代日本は、公害については【無過失責任】主義を採る
・即ち、故意ではなく、過失がなかったとしても、公害については損害賠償せねばならないのである
⇒大気汚染防止法、水質汚濁防止法等にその旨が書かれている

○濃度規制と総量規制

・大気汚染や水質汚濁のような、典型的な公害の中でも特に典型的なもの
・これは有害物質を、空気中や川に垂れ流すから起こる訳である
・とは言え、工業は江戸時代以前から有害物質を出すもので、現代ならば猶更である
・だからと言って、工業をやめる訳にもいかない
・故に、「排出する有害物質を減らせ」という話になる訳である

・この規制は、一般に[濃度規制]によって行われる
⇒これぐらいの濃度までだったら有害物質出していいですよ、という奴。それこそ原子力発電所の汚染された冷却水だって、問題ない濃度まで薄めてしまえば、海に流しても特に問題はない訳である。有害物質だって基本的には自然界に存在する物質であり、濃度が薄いから問題にならない。そういう発想に基づいて行われる規制である

・ただ、工場が密集するような工業地帯だと、濃度規制では足りない
・塵も積もれば山となる理論で、公害になってしまいかねない
・故にそういう地区では、【総量規制】が採用される
⇒この工場全体で、いくらいくらまでしか有害物質は出しちゃ駄目、と規制するもの。これを使って地区全体の有害物質排出量をコントロールする

○環境影響評価

・やる前から「これ絶対環境に影響あるだろ」というものは、世の中に存在する
・例えば大規模な公共事業。ダム建設なんかは典型である
⇒何せ、それまで何もなかったようなところに巨大な湖と滝を作る訳で…しかもコンクリートで

・ならば、そういう事業については、やる前に環境への影響を調査すればいいのではないか?
・従来の日本でも、そういう活動は行われてきたのだが、統一的な法律はなかった
・統一的な法律ができたのは、1997年公布の【環境影響評価(環境アセスメント)】法からである

○循環型どうこう

・近年よく聞く言葉として、[循環型]社会とかそういう単語がある
・要は、昔ながらの「資源を掘る⇒使う⇒出たゴミは捨てる」をやめよう、という話である
・地球の資源は有限であり、いつかはなくなってしまう
・だからゴミを【リサイクル】して、再び資源にしよう…そういう事である

・このような社会を求める運動では、いわゆる3Rが謳い文句となる
1:ゴミを減らす(Reduce)  2:ゴミを再利用する(Reuse)  3:ゴミを再生する(Recycle)

・その為の取り組みとして、色々なものが行われている

・例えば2000年の[循環型社会形成推進基本法]はこれを意識したものである
・飲料でよく見られる[デポジット]制も、ゴミの減少と再利用を意識したものであろう
⇒少し高めに飲料を売る。そして、消費者が飲料の容器(大抵は硝子の瓶)を返却してくれたら、製造業者はいくらかカネを支払う…というもの。返ってきた容器は再利用される

・2012年導入の[炭素税]も、要は石油を使わせない為のものである
⇒[環境税]とも。石油や石炭のような化石燃料を使うと、その分税金が上乗せされるというもの。燃料を燃やしたら税金、というものに「環境」と名前がつくあたり、環境保護論者が何をどう考えているかよく分かる。尚、令和三年現在、日本では産業界にのみ課税されているが、将来的には一般国民にも課税しようという話が出ている

~ここから雑談~
・このような環境対策は、実際、不必要なものでは決してない
・何も考えず有害物質を垂れ流せば人は死ぬのである
・そして何も考えず資源を浪費して文明が滅ぶ可能性だって、ないとは言えない
⇒実際江戸時代末期の日本は、燃料として木を伐り過ぎた結果、木材資源が枯渇しつつあった。運よく開国となり、石炭という新しい燃料を手に入れたからいいが、そうでなければどうなっていたかは分からない

・一方で、今やっている環境対策が「本当に環境の為になっているか」と考えるのも大事である

・例えばかつての日本で叩かれた割箸。木材資源の無駄、森林破壊と叩かれ、市場から消えかかった
・しかしでは本当に、割箸は環境破壊を誘発する商品なのか?
・実際のところ、森林を綺麗に維持するには間伐採(要らない木を間引く作業)が必要である
・この間引きをやらないと、森林は簡単に荒れ果ててしまう
⇒実際のところ、人間の手が入らなくなった森林というのは荒れる。日本人が想像する「自然」の森というのは、あくまで人間が管理する事によって実現した「自然」なのである

・で、間伐採すれば当然、細い木や枝が出る
・実を言えば、少なくとも日本製の割箸は、この間伐採で出た木材が原料である
・だというのに、割箸反対と言って、割箸を売れなくしてしまった訳である
⇒ついでに言えば、これと前後して、中華人民共和国から安い割箸が輸入されるようになってしまったのも合わせて、国産割箸産業は壊滅した。ちなみに中華人民共和国製の割箸は、森林をバリバリ伐採して作っているので、まさに環境破壊による商品である

・「環境保護」を口では叫びながら、実際には環境の為にならない事をする、というのはあり得る

・近年問題になっている、魚の放流問題もそうである
⇒「川に魚が少なくなった」「だから川に魚を放流して自然を回復しよう!」と言って、本来そこに住んでいなかった魚を放流するという案件が多数発生している。最早積極的な環境破壊である

・もっと言えば、2020年のポリ袋有料化もその延長線上にあるものと言えよう
⇒この年までは、買物をすると無料のポリ袋(透明な、石油由来の使い捨ての袋)が貰えた。で、これが無駄遣いだ、環境破壊だと言って有料化して使いづらくしたのだが…実際のところ、原料となるポリエチレンは、「原油を石油にする」時にどうしてもできてしまう副産物であり、ポリ袋だけ使用をやめたところでどうにかなるものではない。しかもゴミ袋としての再利用が積極的にされていたモノでもあり、元が石油なのでゴミ袋として出せばゴミ焼却の際の燃料の節約にもなり…と実はかなりエコな商品であった

・本当の意味で「環境にやさしい」とは何かを、立ち止まって考える事は必要である
~ここまで雑談~

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