小休止:現代的な国家の盲点とナショナリズム

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●本題

・ここまでやってきた話は、言ってみれば全て、一見「いい話」である
・特に人権の保障や、法の支配は、とても「いい話」である
・しかしここで、気を付けねばならない事がある
・人権や法は、「誰に対しても例外なく」適用される、という点である

・例えば法治主義にや法の支配は「例え王であろうと法に従わねばならない」という発想である
・つまり、「誰であろうと平等に、法に従わねばならない」という発想

・だから、例えば生活保護法による貧者救済は、貧者の人格に関係なく行われねばならない
・だから、例えば弁護士による弁護は、容疑者・被告の人格に関係なく行われねばならない

・世の中には、「こんな奴を税金で養ってるのかよ」みたいな人、確かにいる
・生活に困った人に支給するおカネをパチンコやら酒やらに突っ込んでるような人はいる
⇒しかしだからと言って、「国民には文化的な最低限度の生活を送る権利がある」と憲法で定め、「生活に困窮している人を救済する」という法律をひとたび定めたのであれば、その人格に関係なく、必ず救済せねばならない
・その人格によって救う、救わないを決めるというのは、人の支配的な発想である

・極悪人の弁護も同じ
・その容疑者がどれほど残忍な極悪人で、現行犯で有罪が明らかであっても、裁判をせねばならない
・弁護士もつけねばならないし、その弁護士は精一杯、弁護せねばならない

・人の支配、即ち「法律には窃盗罪は罰金って書いてあるけど、お前はムカつくから死刑な」みたいな支配が嫌だと言うのであれば、こういった事も受け入れねばならない。どんな人間の屑であろうと困窮しているのであれば救ってやらねばならないし、残忍な殺人鬼であろうと裁判や弁護を受ける権利は消滅しない

・一見、いい事だらけの法の支配・法治主義だが、そういう盲点もある
⇒「この人はいい人だから救済する」「この人は悪い人だから救済しない」とかやると、「じゃあその判断は誰がするんだよ」「その判断する人の好みで決まっちゃうじゃん」という話になってしまうので、全員一括で救済する形になるのが、現代的な国家

・同様に人権も、あらゆる人に対して保障される
⇒人情を寄せられる対象にだけ、人権や尊厳が与えられるのではない
・どんな人間の屑にでも、どんな残忍な殺人鬼にでも、人権は保障される
⇒法を犯せば処罰はされるが、その処罰も、法に則った捜査、裁判、弁護を経て執行されねばならない。「こいつはクソだから人権なんかねぇんだ」と言って私刑に処してはならない

・「人情を寄せられる対象にだけ人権や尊厳が与えられる」というのは、言ってみれば普通の感覚である
・誰だって、人権なんか認めたくないという相手はいる
・友人、親、更にはサラ金にまでカネを借りてパチンコしてるおっさんに、人権を認めたいか?
・「異臭」がするレベルで不潔なオタクに、人権を認めたいか?
・ロリコンに、ショタコンに、人権を認めたいか?
・こういう人達に人権を認めたいと思わない人は、多いだろう

・だが、そういう人達にも、人権は認められるし法は平等に適用される
⇒既に述べたように、「この人はいい人だから救済する」「この人は悪い人だから救済しない」とかやると、「じゃあその判断は誰がするんだよ」「その判断する人の好みで決まっちゃうじゃん」という話になってしまうので、全員一括で救済する形になるのが、現代的な国家

・この話は、人情が自然と集まるようなタイプについては、人権や法の支配は重要ではない、とも言える
・貧乏でも清廉潔白で、地道に努力していて、周囲が自然と助けてあげたくなるようなタイプである
・そういうタイプは、人権やら法の支配やらがなくても、誰かが助けてくれる
・故に、こういうタイプについては、人権や法の支配はあまり重要ではない、とも言えるのである

・一方、誰もが嫌い反吐がでるような人は、放っておけば誰も助けてはくれない
・どころか、迫害され、私刑の対象にすらなり得る
・故に、そういう人達こそ、人権や法の支配によって救済せねばならない、とも言えるのである

・人権や法の支配というのは「思いやり」とか「かわいそう」というような感情とは関係ないのだ
・「思いやり」の無い人や、「かわいそう」とは思えない人をも救うのが、人権や法の支配である
⇒「思いやり」の無い人や、「かわいそう」とは思えない人は救いたくない。差別したいものはしたい。そう思うのであれば、人の支配を採用するしかないし、人権が保障されていない国を目指すしかない。無論そういう国を目指すのは、その人の自由ではある。但し、少なくとも現代の日本は、そういう国ではないという事は、頭に入れておいた方がいいだろう

〇ナショナリズム

・ところで、この「全員一括で救済する」というのは、[ナショナリズム]と共に発展してきた
・ナショナリズムは、[国民主義、国家主義、民族主義]などと訳される
・特に十九世紀中葉以降、欧州各国で盛り上がったものである

・ナショナリズムとは何か
・要するに、仮に「1民族1国家」として「国境線の内側にいる者は同胞として助け合おう」という思想
⇒例えば日本なら、「日本では、日本人であるというただそれだけで生きる価値があり、助けられる権利がある」という感じ

・一見、自国民以外は助けない排外主義的な思想と捉えられがちである
・だが、実は社会権的な、福祉国家的な理想と共に発展してきた思想でもある

・自由権を重視すると、どうしても↓こうなりがち
「国籍も性別も人種も肌の色も宗教も関係ない。富める者は有能であり、有能な者は皆兄弟である。え? 貧乏人? 無能が貧乏なのは自己責任だろ努力しろ。貧乏から抜け出せないのは無能で怠惰だからだ」
※個人の自由を重視していくと、どうしても「自分が成功したのは勤勉だからだ」と思うようになる。そしてこれの裏返しは、「失敗者(貧乏人)は勤勉ではないから同情に値しない」となる。で、結果的に↑のような極端な考え方に至ってしまう

・この反省から↓のような発想が出てきた
「それぞれの国境線の内側までは、それぞれの民族、国民が責任を持って助け合いましょう」

・これがナショナリズムである、そう考えると分かりやすい
・勿論、これが暴走する事はある
・排他的になったり、帝国主義と結びついて他国を征服しようとし始めたりする場合もある
⇒ただ、一見唾棄すべき排外思想と思われがちなナショナリズムも、そういう背景がある事は覚えておいた方がいいだろう。また、世界の人民は皆兄弟であるというようなコスモポリタン思想も、「人類は皆兄弟」「無能は除く」「キモい奴は除く」になりがちという点は、覚えておいた方がいいだろう
※尚、世界的な傾向として、1980年代から再び自由権重視の時代が来た。「有能な者は兄弟。貧乏人は無能なだけだろ努力しろ」という風潮が強くなった。その反動で、令和二年現在、ナショナリズムの復活が各国で見られる。その結果が、アメリカのトランプ人気やイギリスのブレグジットと言える

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