日本国憲法の制定

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●本題

 本節では、時系列に沿って、日本国憲法がどのように制定されたかを確認する。これは、日本国憲法という現代日本の法体系の根本にある法が、どのような理屈で正統性を付与されているかという点の確認でもある。

1945年
8月14日:ポツダム宣言受諾
8月15日:大日本帝国降伏、第二次世界大戦終結
10月11日:【GHQ(連合国最高司令官総司令部)】が当時の幣原内閣に憲法改正を示唆
10月25日:【憲法問題調査委員会(松本委員会)】設置
10月29日:【憲法研究会】発足。民間の私的な新憲法研究会である
1946年
2月1日:松本委員会の憲法案が毎日新聞にすっぱ抜かれる
2月3日:GHQ、【マッカーサー三原則】を準備
2月8日:松本委員会の憲法改正案が正式にGHQへ提出
2月13日:GHQより【マッカーサー草案】が提示される
以後、マッカーサー草案をベースに憲法改正案を作り直す
4月10日:初の完全普通選挙。婦人議員39名当選
6月20日:第90帝国議会に、憲法草案を提出
10月7日:帝国議会で憲法改正草案を修正の上可決
11月3日:日本国憲法公布
1947年
5月3日:日本国憲法施行

 注意したい第一は1945年10月11日。GHQが当時の幣原内閣に憲法改正を示唆しているが、この示唆の内容が「憲法改正」である点に注目したい。大日本帝国憲法の破棄と新憲法の制定という形ではなく、大日本帝国憲法を有効かつ正統な憲法と認めた上で、その後継者として日本国憲法を制定する、という形を求めている。新しい日本の憲法は、あくまで以前からの日本を引き継いだものであるという立場に立つもので、ここにも新憲法の正統性への配慮が見られると言える。
 この示唆を受けて憲法問題調査委員会、いわゆる松本委員会が設置される訳だが、ほぼ同時期、民間でも独自に、憲法研究会を設置している。このような憲法私案を作る運動は、大日本帝国憲法の制定時にも盛んで、大日本帝国憲法制定前の憲法私案の事は【私擬憲法】などと呼ぶ。

 さて、松本委員会は、プロイセン憲法風の伝統を残した憲法草案を作成していた。松本委員会が求めていたのは大正デモクラシーによる政党政治・議会政治の復活であり、天皇機関説を正式なものとして取り入れる等、政党政治に憲法の裏付けを与えようというような方向で草案作成の作業を進めていた。憲法破棄からの新憲法制定という訳ではないので、まぁ順当な方向性と言えば順当な方向性ではある。
 だが、翌2月1日、松本委員会で作成されていた憲法草案の内の一つが、毎日新聞にすっぱ抜かれる。GHQはこれを見て危機感を募らせた。一般的に、日本の占領政策は全てGHQ(とその長マッカーサー)が取り仕切っていたように思われがちだが、GHQの背後には連合国各国があり、各国の思惑にGHQは対処せねばならなかった。
 そして、GHQは実のところ、天皇制については穏健派で、天皇制の温存を意図していた。しかし、ソ連等、連合国の一部は強硬に日本の国家改造を求めていた。このまま日本人に憲法改正作業を行わせていたら、そういった国々の世論が激発し、天皇制廃止を強硬に要求してくる事態が予想された。

 これを鑑みて、GHQはマッカーサー三原則を準備した。マッカーサー三原則の内容は、【天皇は国家元首】、【戦争放棄】、【封建制度の廃止】である。最後の封建制度の廃止とは、貴族(華族)制度の廃止を指して言っている。
 こうして、マッカーサー三原則を元にした、GHQによる憲法草案作成が始まった。マッカーサー草案は10日程度で作成され、しかも法学者が携わらなかったという事で批判の元となっているが、一方で、憲法研究会が作成した憲法私案を参照もしており、日本国憲法は正統であるとの論の根拠にもなっている。
 このマッカーサー草案が、2月13日に政府へ正式に提示される。この提示にあたっては、マッカーサー草案は既に連合国各国の承認を得ている事や、この草案が受け入れられない場合は天皇の地位も保証できないといった話が伝えられた。日本政府はこれを受け入れ、翻訳と一部修正の上、日本国憲法の草案とした。
 その後、総選挙が行われた。この総選挙は、初の完全普通選挙(男も女も選挙権・被選挙権を持つ)であった。この総選挙で選ばれた議員によって第90帝国議会が行われ、憲法草案は審議される事になる。この議会に於いても、憲法草案は修正を加えられ、最終的な日本国憲法の形になった。例えば、マッカーサー草案には[生存権]はなかったが、日本国憲法には取り入れられている。GHQが作ったそのままではない、日本人の手が入った部分である。

 このように、マッカーサー草案はそのまま採用されて日本国憲法になったのではなく、日本の政府、及び国会によって修正が加えられている。特にこの国会は、初の完全普通選挙を経た後すぐに行われた国会であり、いわば日本人全員の意思を代行する資格を持った議員がいたことになる。その国会で審議され、修正された訳だから、元がGHQの草案であったとしても、日本国憲法は正統である、という論が一般に展開される。

 勿論、実際に日本国憲法が正統なものであるかどうかは、見る人によって変わる。例えば、マッカーサー草案は憲法研究会の私案から大きな影響を受けておりこれが正統性の根拠の一つとなっているが、憲法研究会はそもそも民間のグループであって、日本人や日本政府に承認された正式な機関ではない。「それを正統性の根拠と言えるか?」と言われると「すいませんでした」という話にもなり得る。国会で審議されたという点についても、「進駐軍の占領下、しかも敗戦直後というショック状況下での選挙と国会が正常で正統だと言えるか?」と言われると「まぁそれもそうね」となる。
 勿論、学校教育レベルでは、日本国憲法は正統なものだとされるし、また、民定憲法だとされる。ただ、日本国憲法が正統なものであるか、日本国憲法が民定憲法と言えるのか、というような話は、最終的には国民一人一人が自分で考え、自分で学び、自分で判断するものと言えるだろう。

・最後に、日本国憲法制定の流れを元に、日本国憲法の正統性について見るなら、以下のようになる

日本国憲法は正統な憲法であるとする根拠:
・日本国憲法はマッカーサー草案が元だが、憲法研究会の私案も参考にされている
・日本は、政府が正式にマッカーサー草案を受け入れている
・マッカーサー草案の受け入れは、天皇制保持の為に必要だった
・マッカーサー草案は政府で修正を受け、更に国会で審議されて修正を受けている
・日本国憲法草案を審議した国会は、直前に総選挙を受けており、マッカーサー草案はただ政府が受け入れただけでなく日本国民全体が受け入れたと見做せる

日本国憲法はマッカーサーによる押し付けであるとする根拠:
・日本国憲法の元はマッカーサー草案であり、日本人が作ったものではない
・マッカーサー草案は10日前後の急ごしらえで、しかも作成には法学者が携わってすらいない
・マッカーサー草案に影響を与えた憲法研究会案は、日本人や日本政府に承認された機関による正統で正式なものではない
・進駐軍による占領下にあって、マッカーサー草案を日本が拒否できる筈はない
・敗戦というショック状況下、更に進駐軍による占領統治下の選挙と国会が正常で正統とするのは無理がある

~ここから雑談~
 日本国憲法の制定について、法学の世界(特に憲法学の世界)だと、八月革命説というのが有力です。これはざっくり言ってしまうと、「ポツダム宣言を受け入れて敗戦となった1945年の八月に日本では革命が起きた」「革命によって主権が君主(天皇)から国民へ移動した」というもの。
 純粋に法学的な見地、特に主権が誰にあるかという点からすると、一定の理がある理論ではあります。一方で、社会科の勉強を真面目にしなかった人が学んでしまうと弊害が起こりやすいものでもあります。
 と言うのは、大日本帝国憲法下でも、日本は民主主義政治をやっていた訳です。それこそ、マッカーサー草案が出る前に作ってた草案は、大正期にやっていた民主主義政治の復活と安定が主眼でした。しかし、法学部で法学を学んだであろう弁護士や裁判官を見てると、全てを八月革命説に基づいて考えてしまう人が結構います。つまり、「戦前の日本は一貫して独裁国家であった」「八月革命によって初めて、日本に民主主義が誕生した」みたいに考えちゃってる人が、結構いるんですね。
 中高生が社会科を嫌うのはある程度仕方のないことです。基本授業つまんないし。暗記ばっかだし。
 しかし、社会科を嫌って真面目に勉強してないと、後々変な思想を吹き込まれ、それがおかしいと考えもできず、その思想に染まってしまう…なんて事件が発生してしまいやすくなるんですね。そういうのが嫌だったら、社会科はきちんとやった方がよろしいでしょう。
~ここまで雑談~

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