国際政治の誕生と発展

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●主権国家の誕生

・国際政治とはつまり、国と国との付き合い、政治であると言える
・もう少し突っ込んで言うと、【主権国家】同士の付き合い、政治を言う

・政治分野第一章で言った通り、主権には三つの側面がある

~ここから引用~
一:「統治権」
⇒軍隊・警察のような暴力装置の強制力を背景に、社会集団の秩序を維持し、人民の利益を調整・統合する
二:「国家意思最終決定権」
⇒国の政治を、最終的に決定する権利・権力
 君主が最終的に決定するなら君主主権、国民が最終的に決定するなら国民主権
三:「対外的独立性」
⇒国家の権力が対外的に独立しており、他国に口出しされない
~ここまで引用~

・要するに、主権国家というのはこの三要素をきちんと備えた国家である
・この主権国家という概念は、【ヴェストファーレン条約】によって誕生した
⇒【ウェストファリア条約】ともいう。欧州全体を巻き込んだ大戦争、【三十年戦争】の講和条約

・逆に言えば、ヴェストファーレン以前の国家は主権国家ではなかったと言える
・何故かと言えば、神聖ローマ皇帝という存在があったから
⇒元来、神聖ローマ皇帝とは、神の恩寵によるキリスト教世界の守護者という位置付けで誕生した地位である。だから本来であれば、神聖ローマ皇帝というのは、「神聖ローマ帝国の皇帝」ではないし、「神聖ローマ帝国の指導者」でもない。「キリスト教世界の皇帝」であり「キリスト教世界に在るあらゆる国家の指導者」である。実態はともかくとして、理念としてはそうなのだ。欧州世界の支配者こそ、神聖ローマ皇帝である。中世盛期以来の混乱によって神聖ローマ皇帝位は力を失っていったが、それでも大きな権威を持ち、欧州の各国の政治に口を出していた

・ざっくり言うと、三十年戦争とはこの神聖ローマ皇帝と反皇帝勢力の戦争である
神聖ローマ皇帝:「俺は皇帝だ。一番偉いんだ」
神聖ローマ皇帝:「だからお前らは俺の言う事を聞け。お前らの国の政治にも口を出させろ」
反皇帝諸国:「は?(半ギレ)」
神聖ローマ皇帝:「戦争の時間だね(にっこり)」

・この三十年戦争で、結局、皇帝は反皇帝諸国に言う事を聞かせられなかった
・一方、反皇帝諸国も、皇帝を滅ぼす事はできなかった
・そこで、妥協が成立した
ヴェストファーレン条約:「今後、各国は各国の主権を尊重しましょう。他国の政治に介入しないようにしましょう。【内政不干渉】でいきましょう。例えば、自分の国がどの宗教を信仰するかは自分の国で決めればよろしい。他国に口を出される話ではない。そういう感じで行きましょう」

・要するに、ヴェストファーレン条約は、「キリスト教世界の皇帝」という理念を否定した
⇒各国には、自分で自分の国を統治し、自分で自分の国の意志を決定し、そして統治と意志決定を他国に左右されない権利―即ち主権があると、認めた。これは、「キリスト教世界の皇帝」たる神聖ローマ皇帝の死であった。故に、ヴェストファーレン条約は神聖ローマ帝国の死亡診断書などと呼ばれる事もある

・主権を尊重すると言っても、戦争しない訳じゃないし、他国を屈服させようとしない訳ではない
・しかし、「それぞれの国は本来同等・平等である」という建前を、各国は受け入れた
⇒本来同等・平等な国が自由に競争し、その結果勝った国と負けた国が出る事自体は仕方ない。それによって、負けた国が勝った国に服従するのも仕方ない。ただ、それぞれの国が「本来同等・平等」であるという事は受け入れた。だから、「うちは皇帝が国家元首だから、お前らの国より偉いんだ。支配させろ」みたいなのはやめよう、となった

・ヴェストファーレン以後、少なくとも欧州の国家は、互いが互いを主権国家として尊重するようになる
⇒国際政治の始まり。国際政治学でも、ヴェストファーレン条約を出発点として扱う
※え? アジア? アフリカ? アメリカ? 蛮族を文明化してあげるのは白人の責務だから仕方ないね(にっこり) …という事で、ヴェストファーレン条約による主権国家の誕生には「欧州では」という但し書きがつく

●国際法の誕生

・ヴェストファーレン条約によって、各国は互いの主権を尊重するようになった
⇒それぞれの国がやりたい事を、それぞれが自由に決めて、それぞれが各国のやる事を尊重する
・主権の尊重自体は結構な事である
・ただ、一つ問題がある。↓のような場合である
A国:「「それぞれの国がやりたい事を、それぞれが自由に決め」るので、「それぞれの国が戦争するのも自由」。という訳で、我が国は貴国に宣戦を布告しまーす」

・戦争は勝てば利益があり、負ければ不利益があるのが普通
・勝てる戦争ならやりたいのが人情だが、負ける戦争はやりたくないのも人情
・また勝てる戦争でも、無用な被害は抑えたいもの

・こういう訳で、三十年戦争以降、戦争を抑制する、もしくは戦争の被害を抑制する取り組みが行われた
・[国際法]の確立も、その一つ
・国際法の理論的枠組みを提供した法学者が、ネーデルラント連邦共和国の[グロティウス]である
⇒三十年戦争期の人物。主要著書は[『戦争と平和の法』]、『自由海論』

・グロティウス以前にも、成文不文問わず、国家間を律するルールみたいなものはあった
例:捕虜は誓約違反でもない限り、名誉をもって丁重に扱われねばならない
⇒そういうルールを、「国際法」という明確な、目に見える形にまとめあげた最初の人物がグロティウス、と考えるとよい

〇国際法の種類

・国際法にも色々種類があるので、その分類を紹介する

・成文不文での分類
[条約(成文慣習法)]:〇〇条約、〇〇議定書、みたいな形で文章になっているもの
[国際慣習法]:↑のような形にはなっていないが、慣例として各国が守っているもの

※条約(成文慣習法)は対象の数によって以下のように分類できる
[二国間条約]:対象となる二国にのみ効果がある条約
[多国間条約]:条約に参加する、複数の国に効果がある条約

・状況での分類
[戦時国際法]:戦争中に適用される国際法
[平時国際法]:平時に適用される国際法

・これだけだと分かりづらいので例を挙げます

例:女子差別撤廃条約
||| |:----:|:----:| |成文不文での分類|条約(成文慣習法)|
|対象の数による分類|多国間条約|
|状況での分類|平時国際法|

●勢力均衡と集団安全保障

・既に見たように、三十年戦争以降、戦争を抑制する、もしくは戦争の被害を抑制する取り組みが行われた
・その取り組みの一つが国際法
⇒勿論、国際法と言ったところで、国内法と違って絶対の裁定者がいない以上、十全に信頼できるものではない。戦勝国からしたら「国際法なんて紙切れ以下」というのは世界史上よくある。と言うか第二次世界大戦なんてまさにそれ
・という訳で、他にも取り組みがあった
・その最大のものは、やはり外交による安全保障であろう

〇勢力均衡

・三十年戦争以降、外交による安全保障は【勢力均衡】政策で行われた

・勢力均衡は、「力の空白は侵略を招く」という理屈に立脚している
⇒侵略元の国から見て侵略先の国があまりに無力(力の空白)だと、侵略が起きやすいという理屈
例1:ソ連によるバルト三国征服
例2:中華人民共和国によるチベット征服
※どちらも、「侵略元の国から見て侵略先の国があまりに無力」だった。その為、侵略によって領土が増えるという利益の一方、戦争による被害は極めて小さいと見込めた。よって、簡単に侵略を決意できた

・逆に対立する諸国のパワーが均衡状態にあれば、侵略の代償は大きくなり、戦争は起こりにくくなる
例:ABCDというよっつの国があるとする。それぞれの国力を3、1、2、2、とする。この場合、ABが同盟を組み、CDが同盟を組めば、それぞれの同盟の国力の合計値は4と4となり、それぞれの勢力のパワーは均衡状態となる。こうなってしまうと、互いに迂闊には手が出せなくなり、戦争は起こりづらくなる。結果、国際情勢も安定する
| | | | |
|-------------|-------------|-------------|-----------|
|A国 国力:3|B国 国力:1|C国 国力:2|D国:国力2|

・勢力均衡には、二つの側面がある
・一つは、勢力均衡という考え方のねっこにあるものである。と言うのは…
・プロテスタント的な考え方として、「各々が最善の努力をすれば世界は最善となる」というものがある
※自由主義的な考え方と言ってもいい
・先の例で言えば、「ABCD各国が最善の努力をすれば、自然と勢力均衡の形になり、平和になる」
⇒無論、現実には、例えばAB同盟とCD同盟が対立しているところ、AB同盟がCを引き込んで三国でDを攻撃する、と言うのもあり得る。しかしそういう事態は、「ABCD各国が最善の努力を」していれば起きない、というような考え方。逆に言えば、そういう事態が起きてしまったという事は、例えばD国がC国との関係を強固にしようと最善の努力をしなかった、という事になる

・先の理想の面から導き出される、勢力均衡のもう一つの面が、現実的な側面である
・普通、戦争は勝てば利益があり、負ければ不利益があるもの
・だから普通は、「勝てる戦争ならバンバンやりたい」「負ける戦争はやりたくない」と考える
・この考え方に適合した安全保障政策こそ、勢力均衡と言えるのである

・先の例の、「ABCD各国が最善の努力をすれば、自然と勢力均衡の形になり、平和になる」
・ここでいう「最善の努力」とは、「互いが互いに優越しようと努力する」事である
・他国より上へ行こう、他国に勝とう、それぞれの努力が最善であれば、かえって勢力均衡で平和になる
・そして、外交的に孤立したりして戦争になり、負けるのは、「最善の努力」をしていなかったからである
⇒勢力均衡で頑張っていたのに戦争になって負けてしまったのは、「最善の努力」をしなかったその国が悪い。自己責任である…こういう考え方は、「勝てる戦争ならバンバンやりたい」「負ける戦争はやりたくない」に見事に適合する訳である

〇勢力均衡の欠点

・勢力均衡の欠点は、理性的な相手にしか通じない、という点。代表的な例が第一次世界大戦
・第一次世界大戦前夜、欧州を中心に世界は大きく二つの勢力に分かれていた
・片方は中央同盟。ドイツ帝国、オーストリア・ハンガリー二重帝国、イタリア王国、オスマン帝国等
・片方は協商国。大英帝国、フランス共和国、ロシア帝国、大日本帝国、セルビア王国等
・それぞれの勢力は互角。本来なら、世界を二つに分けての戦争など起こる筈がなかった

・…が、セルビア王国のテロリストが、二重帝国の皇太子を暗殺
⇒この時期のセルビア王国は二重帝国と仲が悪かった。セルビア人テロリストによる二重帝国官吏の暗殺(未遂)事件も頻繁に起きていた。「オーストリアの豚どもをぶっ殺せ」ぐらいのノリである。その最大の事件が、二重帝国の皇太子暗殺事件、サラエヴォ事件である。しかも悪い事に、この時期のセルビア王国政府はテロリストに同情的で、「テロリストなんか知らん。捜査もしないよ」という態度だった
・結果、当然の如く二重帝国は激怒
・二重帝国はセルビア王国に最後通牒を発し、セルビア王国が拒否するに及んで、戦争となった
⇒四年に及ぶ大戦争が始まり、負けたドイツ帝国や二重帝国は崩壊、一方で勝った大英帝国やフランス共和国も衰退するという、未曽有の事態になった。普通、戦争は勝つと国が強くなる。だというのに、勝った大英帝国もフランス共和国も、没落したのである

・ここから汲み取れる教訓はやはり、「勢力均衡は理性的な相手にしか通用しない」という事である
・勢力均衡というものは、各主権国家が↓のように考えられる事を前提にしている
「こちらも向こうも戦力的にはほぼ同等。となれば、戦争して勝ったとしても大きな損害が出る。勝っても旨味はさほどない。戦争はやめておこう」
・言い方を変えれば、各主権国家が、理性的に、国益を最大化するよう行動する、という前提に立脚する
・逆に言えば、理性的ではない相手には通じない、という意味でもある
⇒その最たる例が、サラエヴォ事件を起こしたテロリスト
・また、主権国家でない相手にも通じない
⇒アルカイダやイスラム国は主権国家ではなく、勢力均衡的な考え方は通用しない

・一応、教科書レベルでは、勢力均衡には別の欠点も指摘される
・均衡する勢力間で【軍備拡張競争】が起こり、バランスが崩れると戦争が起こる、という欠点である
⇒より正確には、国力が急速に増加、もしくは減少している国がいる場合、勢力均衡のバランスが崩れやすい、と言うべきだろう。例えば急速に国力を増加させている国がいると、同盟関係は変わっていないのにパワーバランスは変わる、という事態が起き得る
※ただ、「勝てる戦争ならバンバンやりたい」「負ける戦争はやりたくない」に適合した安全保障政策が勢力均衡であると考えると、「そこは許容しないと、勝てる戦争ができないのでは?」という話はある

〇集団安全保障

・第一次世界大戦は、破滅的な戦争だった
・敗戦国は文字通り破滅し、戦勝国すらも衰退した
⇒基本的に、戦争は勝てば利益のあるもので、大戦争の勝利ともなれば世界の覇権という巨大な利益が得られる。…普通は。だと言うのに、第一次世界大戦を主導した大英帝国やフランス共和国は衰退した。それぐらい、第一次世界大戦は異常な戦争だった

・この破滅的な戦争から、「もう戦争はやめよう」という機運が高まる
⇒従来の国家は、「勝てる戦争ならバンバンやりたい」「負ける戦争はやりたくない」という形。これに適合した安全保障政策こそ、勢力均衡だった。そこから、「もう戦争はしたくない」に変わった
※実際には三十年も経つと次の世界大戦が起こるので、「嘘つけそんな事絶対思ってないだろお前ら」と思うかもしれない。が、第一次世界大戦が終わった直後は割と真剣に、「もう戦争はしたくない」と思っている国は多かった。1928年には[ケロッグ・ブリアン条約]というものが作られているが、これは[不戦条約]の別名の通り、戦争を禁止する旨の条約である。終戦直後に限っては、皆真剣に「もう戦争はしたくない」と思っていた

・こうして、【集団安全保障】方式というものが生まれた
⇒集団平和機構(国際連盟や国際連合みたいなもの)を作り、この機構には可能な限り多くの国に参加して貰う。そして、加盟国への侵略に対し、全加盟国で【集団制裁】を行う。これによって、あらゆる戦争の発生を抑止する

・集団安全保障の理論を提供した有名どころは、プロイセン王国の[カント]
⇒哲学者として有名で、倫理の分野でも絶対に出てくる巨人だが、一方で安全保障についても『永久平和のために』を書いている
・また、フランス王国の[サン=ピエール]も有名。主著は『永久平和草案』

・一方、集団安全保障の実現を提唱したのはアメリカ合衆国大統領【ウィルソン】
⇒集団安全保障に不可欠な集団平和機構、【国際連盟】の基礎となる[平和原則十四ヶ条]を提唱した

・結局、集団安全保障と国際連盟は有効に機能しなかった
⇒第二次世界大戦を抑えられなかった

・第二次世界大戦が起こった理由はいくつかある。ざっくり言うと…
1:いくら第一次世界大戦が破滅的な戦争でも、三十年も経てば記憶は薄れる
2:協商国が、あまりにもドイツ国を虐め過ぎた
⇒国土の多くを削られ、天文学的な賠償金を背負わされ、払えそうにないと見るや軍隊が進駐してくるような状態だった
※今の日本で例えれば、北海道をロシア連邦に、九州と中国地方を中華人民共和国に取られ、「こんなもん払える訳ないやろ、払うのに100年はかかるぞ」みたいな賠償金を課され、中京工業地帯と京浜工業地帯には米軍が進駐して「金払え~金払え~お前らの作ったもん売った金は俺のものだからな~」とかやってる状態。そらドイツ人も怒るわ
3:ソ連の脅威
⇒ソ連はすごくざっくり言うと「金持ちを皆殺しにすればみんな幸せになれる」って言って、本当に金持ちを皆殺しにして(ロシア革命)できた国。それだけならともかく、世界各国に「金持ち殺しましょう」教宣教師を派遣し、派遣先の各国に於ける金持ち皆殺しクーデター計画を支援していた。そりゃあ戦争の火種になりますわという

・そんなこんなで始まる第二次世界大戦を、国際連盟は止められなかった
・この国際連盟の欠点は、一般に以下の三つが挙げられる
1:採決が[全会一致]を原則とした結果、何か重要な問題が起こっても何も決められなかった
2:[軍事制裁]規定がなかった
⇒集団制裁と言っても、経済制裁のみで軍事力の行使がない、というのではあまりに無力
3:大国の不参加、除名、脱退
⇒[アメリカ合衆国]の不参加、ソ連の除名、大日本帝国、ドイツ国、イタリア王国の脱退。アメリカ合衆国は正直、第二次世界大戦が起こるまで、大した国際影響力を持っていた訳ではない(工業力は極めて高かったが、国際政治に介入せず孤立する事が伝統的な外交政策だった)。とは言え、大日本帝国とアメリカ合衆国の関係がこじれ、それが第二次世界大戦拡大の原因の一つとなった考えれば、やはり痛いと言えるだろう

・結局、集団安全保障そのものの欠点としては、「戦争の絶対抑止にはならない」という現実がある
・実際、国際連盟にしろ国際連合にしろ、結成後戦争は起こっている
・最近の例では、ウクライナに対するロシア連邦の実質的な侵略戦争に、まるで有効な手を打てていない
・一応、湾岸戦争(イラク共和国によるクウェート国侵略)では制裁が有効に機能はしている
⇒ただ、「勝てる戦争ならバンバンやりたい」「負ける戦争はやりたくない」に適合した勢力均衡と違って、「あらゆる戦争の抑止」が基本線となる集団安全保障にとって、「中小国の紛争には対応できるけど大国には対応できない」はやはりまずい

・結局、第一次世界大戦後も、外交による安全保障は勢力均衡で行われているのが現実である
⇒教科書レベルでは、【第一次世界大戦】までが【勢力均衡】、その後は【集団安全保障】とされる。が、まぁ現実はどうですかと言われると…

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