日本国憲法と人権(社会権)

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●概要

 十八世紀以前の革命の時代、自由権が重視された。自由権は「政府は何もするな、国民に介入してくるな」というものだが、この時代の自由の本質は経済的自由にあった。資本家による「もっと自由に金儲けをさせろ」である。故に、革命の時代の自由権とは、労働者の給料を極限まで減らす自由であったり、労働者を一日十四時間も働かせる自由であったり、労働者の参政権を認めない事で労働者の意見を封殺する自由であった。
 この状況に反発した労働者層、即ち庶民は、自由権の制限は求めなかった。代わりに、参政権を求めた。十九世紀を通して、徐々に参政権が拡大していった。男子普通選挙が、多くの国で達成された。しかし、それでも貧富の格差は残った。特に第一次世界大戦から世界恐慌の流れは、自由主義国家の理論的支柱だったアダム・スミスの「神の見えざる手」理論を完全に崩壊させた。そして、「「自由国家」じゃ駄目だ。国が、企業や個人の自由を制限して(企業や個人の活動に介入して)、困っている人を救っていかないと駄目だ」という潮流を生んだ。第一次世界大戦によって上流階級と労働者が戦友となり、同じ国民としての仲間意識を持った事も、この風潮を後押しした。
 こうして、二十世紀的人権として誕生してくるのが【社会権】である。社会権は[積極的権利]と呼ばれ、国家による自由などとも言われる。この風潮は二十世紀中頃まで続く。日本国憲法は、まさにこの風潮の真っただ中で誕生した憲法であり、社会権もまた細かく規定されている。
 大きく分けると、【生存権】、[教育を受ける権利]、【勤労権】、【労働三権】の四種類となる。また、累進課税に代表される富の再分配も、この社会権がベースになっている。
 ちなみに、社会権に関する日本国憲法の条文は、実は連続している。生存権は日本国憲法【二十五条】で保障されているが、[二十六条]で教育を受ける権利が、[二十七条]で勤労権が、[二十八条]で労働三権が保障されている。

●生存権

・生存権は【プログラム規定説】と切っても切れない関係にある
・なので具体的に生存権はどういうものかとかそういう話をする前に、プログラム規定説の話を
・プログラム規定とは要するに、努力目標という意味である
・ある憲法の条文をプログラム規定とみると、「これは努力目標である」「守れなくても仕方ない」となる
⇒この説明を見ただけで、特大級の爆弾と分かる考え方である。プログラム規定説を広範に認めた場合、それこそ憲法九条も「プログラム規定だから守らなくてもよい。よって軍隊が存在しようが戦争しようが問答無用でセーフ」になり得る

・日本国憲法では、生存権を定めた【二十五条】がプログラム規定説で解釈されている
※但し、厳密な意味でのプログラム規定説ではない。細かい話は後で見るので、まずは条文を見てみよう

日本国憲法第二十五条 すべて国民は、健康で【文化的】な【最低限度】の生活を営む権利を有する。
2 国は、すべての生活部面について、社会福祉、社会保障及び公衆衛生の向上及び増進に努めなければならない。

・この条文で問題になるのは、「健康で文化的な最低限度」というのは具体的にどんなものかという話
・もっと言えば、「健康で文化的な最低限度の生活」がどんなものか決めるのは誰か、という点である
・誰が決めるか、及びプログラム規定説との関わりを、有名な訴訟を挙げて見ていこう

・食糧管理法違反事件
 第二次世界大戦中、国民の食料は配給制になっていた。各家庭に引換券が配られ、この引換券を持って役所等に行くと食料と交換できる、という制度である。が、敗戦によってこの配給制が崩壊する。具体的には、配給される食糧が明らかに少なくなり、配給された食料だけでは生きていけないという状況に陥った。この為、いわゆる闇市が開かれ、違法な食糧が流通していた。1947年には、裁判官が餓死するという事件も起きている。この裁判官は配給制度を守り、闇市から食料を購入しなかったのだが、それで餓死したのである。
 こうした状況の中、闇市で違法に食料を調達していた者が摘発されて裁判にかけられ、むしろこの配給制度こそが違法であると反撃したのが、いわゆる「食糧管理法違反事件」である。現実に配給制度では餓死者が続発しているのだから、配給制度そのものが生存権の侵害であり、憲法二十五条に反するとしたのである。
 実際のところ、素直に条文を読み、尚且つ状況を考えれば国の負けである。とは言え、配給制度は少ない食料で多くの国民を生かす為の制度である。そういう配給制度でも国民が餓死するのは、食料が少ないから(連合軍が戦争で徹底的に日本のインフラを破壊したから)である。この状況で配給制度は違憲として廃止すれば、少ない食料を巡っての奪い合い、無法状態が発生して余計に国民が死ぬのは目に見えている。
 そこで、裁判所が採用したのがプログラム規定説である。憲法二十五条の言う「健康で文化的な最低限度の生活」の保障というのは、これは努力目標であって、結果的に守れなくても仕方ない。具体的にどのような生活が「健康で文化的な最低限度の生活」なのかは国が決める。そういう形にする事でその場をしのいだのだ。
 この判決が出たのは1948年9月。この年の年末には配給される食糧の量も大幅に増え、翌年には飲食店が再開するなど、国民の食生活は改善され、餓死者は見られなくなっていく。

・【朝日訴訟】
・生存権を保障する法律の一つが、【生活保護法】
・生活保護法は、以下のような法律である
生活保護法第一条 この法律は、日本国憲法第二十五条に規定する理念に基き、国が生活に困窮するすべての国民に対し、その困窮の程度に応じ、必要な保護を行い、その最低限度の生活を保障するとともに、その自立を助長することを目的とする。
・生活保護を受けていた人が、現行の生活保護による支給額では「最低限度の生活」ができないと提訴
※起訴したのは1957年で、当時の生活保護の支給額は600円。これは、原告の請求を棄却した(支給額600円は合憲とした)高等裁判所も、その判決で「日用品費月600円はすこぶる低い」と言うぐらいには低かった。この為、支給額の増額を求めて提訴したのが朝日訴訟である
・最高裁は、原告の【請求を棄却】した
⇒食糧管理法違反事件のプログラム規定説を踏襲し、憲法二十五条は努力目標であるとした。また、「健康で文化的な最低限度の生活」の基準を決めるのは国である、と示した

・高校公民では、朝日訴訟(と[堀木訴訟])によって生存権はプログラム規定説になった、とされる
・実際、受験等では「朝日訴訟で憲法二十五条はプログラム規定と示された」とか書いて問題ない
・ただ、朝日訴訟からは、厳密にはプログラム規定説でない事も知っておきたい

朝日訴訟最高裁判決 現実の生活条件を無視して著しく低い基準を設定する等憲法および生活保護法の趣旨・目的に反し、法律によって与えられた裁量権の限界をこえた場合または裁量権を濫用した場合には、違法な行為として司法審査の対象となることをまぬかれない。
⇒要するに、「憲法二十五条は努力目標ですよ」「何が最低限度の生活かは国が決めますよ」という基本線は踏襲するが、一方で、「あまりにも劣悪な環境に国民を置いたら、それはそれで違憲ですよ」とも言っている。割と玉虫色感のある判決。実際、この判決の後、生活保護の支給額は増額されている

・[堀木訴訟]
・障害福祉年金と児童扶養手当は、併給不可だった
※障害福祉年金:障害者と認定されると国から貰えるお金
※児童扶養手当:何らかの理由で片親となってしまった子供の養育費を地方自治体が一部支給するもの
・この併給不可は憲法二十五条違反である、併給させろと提訴したのが堀木訴訟
・最高裁は、原告の[請求を棄却]した
⇒朝日訴訟を踏襲した。「憲法二十五条は努力目標ですよ」「何が最低限度の生活かは国が決めますよ」「あまりにも劣悪な環境に国民を置いたら、それはそれで違憲ですよ」の三本柱がそのまま継承されている

・以上のように、生存権とプログラム規定説は切っても切れない関係にある
・高校公民のレベルでは、ざっくり「生存権はプログラム規定」でいい
・が、現代に生きる日本国民としては、「厳密なプログラム規定ではない」というのも知っておきたい

※実を言うと、生存権を保障する法律として、【労働基準法】というのもある。これについて詳しくは、経済分野で

●教育を受ける権利

・[二十六条]によって保障されている権利
・文化的生存権とか、社会権であると同時に平等権でもあるとか言われる権利

日本国憲法第二十六条 すべて国民は、法律の定めるところにより、その能力に応じて、ひとしく[教育を受ける権利]を有する。
2 すべて国民は、法律の定めるところにより、その保護する子女に[普通教育を受けさせる]義務を負ふ。義務教育は、これを[無償]とする。

・ポイントは三点
1:全ての国民は[教育を受ける権利]を有する
2:全ての国民は、その保護する子女に[普通教育を受けさせる]義務を負う
3:義務教育は[無償]

●勤労権

・[二十七条]によって保障されている権利
・二十七条は、労働の権利と義務を同時に定めている
・労働は義務であると同時に権利でもあるので、国は労働の権利を保障しなければならないと解される
⇒労働の意思があるのに労働できない、という状況の解消が国に求められる
・よってこの勤労権を根拠に、国が[職業安定所(ハローワーク)]を設置している

・ちなみに、児童労働の禁止を定めているのも二十七条
・労働基準法のような、労働者を守る法律を定めるように明記しているのも二十七条
⇒労働基準法は、「労働者は、最高でも〇〇時間までしか働かせちゃ駄目」「労働者を、最低限これぐらいは休ませてやれ」といった事を定めている法律

●労働三権

・企業と労働者の関係は、基本的には私人と私人、対等の関係である
⇒実際、企業と労働者の関係を規定する法律は[私法]である
・だが、じゃあ企業と労働者の力関係は対等か? と言うと明らかに企業の力の方が大きい
例1:労働者A「給料上げろー!」企業「うるせぇクビだ」
例2:労働者B「休みを増やせー!」企業「うるせぇ左遷だ」

・このまま放っておくと、労働者の給料は減る一方、待遇は悪化する一方である
・そこで、労働者が団結して、企業と戦う必要が出てくる
⇒実際、労働者の賃金は基本的に、労働者が組合作って企業と戦わないと上がらない。当然だが、企業の経営者からしてみれば、労働者の給料など安い方が儲かるのである。だから、労働者が団結して戦わないと給料は上がらないし、待遇もよくならない。戦後日本の歴史を見てもそう。労働者が労働組合を組織して企業と戦っていた高度経済成長期は賃金が上がっていたし、バブル崩壊後労働者が戦わなくなり、労働組合も訳に立たなくなると、賃金は上がらなくなった。と言うか、下がり続けた。現在もこの傾向は続いており、あまりにも賃金が上がる気配を見せないせいで、大企業が支持母体の自民党が法定最低賃金を上げ始める始末

・こういった事情から、労働者が企業と戦う権利を保障するものが労働三権である
・[二十八条]で保障されている
・労働三権は、基本的に以下の三権
1:【団結権】 ⇒ 労働組合を結成する権利
2:【団体交渉権】 ⇒ 労働組合が団体で使用者と交渉する権利
3:【団体行動権(争議権)】⇒ 労働争議(実力行使)をする権利

・また、労働者が起こす労働争議としては、以下の手段がある
1:【同盟罷業(ストライキ)】(労働者が示し合わせて、一斉に仕事を完全放棄する)
2:【怠業(サボタージュ)】(仕事を完全放棄こそしないが、意図的に怠けて仕事をする)
3:【ピケッティング】(ストライキに参加しない労働者が仕事をしようとするのを阻止したり、ストライキへの参加を勧誘したりする)
※尚、使用者(企業)の側も【ロックアウト】という対抗手段を持つ。職場を閉鎖して、労働者を働かせないもの。要するにストライキの逆。ただ、余程の事情がないと違法になるので軽々しくは使えない

〇労働三権の制限

・こういった労働三権は、原則、あらゆる労働者に認められている
・但し、あくまで労働者に認められるというだけなので、企業の経営陣等には当然認められない
⇒個人事業主にも認められない
※ちなみに、個人事業主には労働基準法も適用されない。なので、企業からしてみれば、社員を全て個人事業主にしてしまえば、働かせ放題、給料削り放題、待遇悪化し放題になる

・また、公務員は労働三権が一部、制限されている
・公務員の内、[警察官、自衛官、刑務官、海上保安庁職員]等は、労働三権が一切認められていない
・それ以外の公務員も、[団体行動権]は認められていない
⇒公務員の労働三権を制限するのは違憲ではないかという裁判は、複数起きている。最高裁の判断は、公務員の労働三権制限は合憲、というもの。日本国憲法に、公務員は[全体の奉仕者]であると書かれている、というのが理由

・なお、公務員はこのように労働三権が制限されている為、放っておくと給料が上がらない
・その為、[人事院]による勧告制度がある
⇒公務員は労働三権が制限されている一方で、「公務員の待遇は模範」という側面もある。「公務員すらこれぐらいいい待遇を受けてるんだから、民間企業もこれに倣えよ」という側面である。これはどういう事かと言うと…普通の労働者は、給料とかの待遇がいいところに就職したがる。例えば、公務員と民間企業を比べた時、公務員の方がいい待遇だとなれば、皆公務員になりたがる。そうなってしまうと、民間企業には新入社員が来なくなる。だから、公務員の待遇がいいと、民間企業も労働者の待遇を上げる必要が出てくる。このように、公務員の待遇には全国労働者の待遇を間接的に左右する効果がある
※と考えると、「民間企業の社員は劣悪な待遇で働いてるんだから公務員も苦しめ」という考え方は、まぁヤバイと分かりますね

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