日本国憲法と人権(総論)
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●本題
日本国憲法の三大原則と言えば、【国民主権】、【平和主義】、【基本的人権の尊重】である。ここまでで国民主権と平和主義についてはざっと見てきたので、ここからは人権について細かく、突っ込んで見て行く。
日本国憲法に定められた人権は、大きく分けると【自由権】、【参政権】、【社会権】、[平等権]、[請求権]といった形になり、他にも新しい人権、と呼ばれるものもある。これらを一つ一つ、細かく見て行くので、今どの辺の話をしているのか分からなくならないように、目次になる表を置いておく
また、日本国憲法は社会権が重視された第二次大戦直後に作られた憲法であり、そういう意味では福祉国家的な憲法である。ただもう一歩踏み込んで言うと、日本国憲法(と現代日本)は、あらゆる人権を重視した「人権国家」的なところがある。実際、日本ほど人権を重視している国というのは、諸外国を見回してもあまり例がない。
さて、『大日本帝国憲法と日本国憲法』で見たように、日本国憲法に於ける人権は以下のような特色がある。
~ここから引用~
大日本帝国憲法:天皇が与えるもの。【法律】によって制限可能。【自由権】中心
日本国憲法:【天賦人権説】を採る。永久不可侵の【自然権】であるとする
※大日本帝国憲法下の人権は、「寛大な天皇陛下が臣民にくださったもの」という扱いであり、恩賜的人権などとも呼ばれる。その性質上、法律によっていつでも制限可能。その実例が【治安維持法】
※日本国憲法は、厳密には天賦人権説ではないとする意見もあるが、「人権とは人が生まれながらに持っている不可侵の権利である」という意味では天賦人権説そのもの
~ここまで引用~
大日本帝国憲法に於ける人権は法さえ作ればいくらでも制限可能。一方、日本国憲法に於ける人権は、永久不可侵であって、原則的には制限できない。では、日本国憲法下での人権は絶対に制限されないのか? と言うと、一応制限される場合がある。いわゆる【公共の福祉】に反する場合、日本国憲法下でも人権は制限され得る。
公共の福祉とは、ざっくり言えば「皆の幸せ」である。人権が皆の幸せに反する場合、人権は制限される。
ここで注意したいのは、「公共の福祉というものは人権とは全く別に存在していて、公共の福祉(皆の幸せ)の為であれば人権はいくらでも制限できる」というものではないという事である。この考え方を認めてしまうと、大日本帝国憲法と大して変わらなくなってしまう。「法律さえ作ればいつでも人権を制限可能」と「皆の幸せの為という言い訳さえ作れたらいつでも人権は制限可能」というのは、似たようなものである。
実際、終戦直後は特にこの考え方が主流だったので、「ん?」みたいな判決が出てる事もある。
「公共の福祉に反する場合、人権は制限される」という概念の解釈として現在、通説になっているのは「人権と人権が衝突してしまう場合、これを皆の幸せの為に調整する」というものである。例えば、表現の自由(人は誰でも、どんな表現でもしていい)という人権と、プライバシーの権利(個人の私生活は公表されない)という人権は、衝突し得る。芸能人の私生活を暴きたい報道機関と、私生活の秘密を守りたい芸能人、それぞれの人権が衝突し得る訳だ。こういう時、どちらかの人権が制限されるしかない訳だが、その基準が公共の福祉(皆の幸せ)、という訳である。
では、日本国憲法と現代日本ではどのような人権が保障されているか、これから細かく見て行こう。